絶望

ぼんやりとした不安

私の終わってる人生

199X年、産まれました。東条おこめ、です

母23くらい、父25くらいの時

幼い頃の写真は何葉か否、アルバム何十冊とあったから愛されていのかも知れない。

でも記憶は無い。

 

ただ、幼稚園で保育士から無理やり唐揚げを口に押し込まれ嘔吐した記憶はある。

私は餡掛けというか、柔らかい衣や肉が苦手で食べられなかった。そうしたら保育士から口に押し込められた。

吐いた。吐瀉物だらけの服で帰りまで過ごした。

吐瀉物人間、誰も寄り付かず1人で部屋の隅っこにいた。

 

母は変な人で「あなたを取り上げた助産婦さんは、学校出て初めて立ち会って取り上げたのが貴女よ」とばかり言っていて、やたら手紙等でその助産師さんに粘着していた。

迷惑だっただろう。

そして母は夜中に知らないおじさんの所に私を連れていった。

なんだか仄暗く煌びやかなホテルの一室、いまならわかる、ラブホテル

母がシャワー浴びている間、途中のコンビニで買って貰ったカラフルチョコボールを部屋の隅で食べていたら、おじさんからベットに連れてかれ、舐め回され、秘部を触られたし、珍棒も握らされた。

タイミング良く(?)母がシャワーから出てきて”助けてもらえる!”と思ったら「このクソ女!私の○○さんを誘いやがって!」と殴られた。

知らんけど、2人はセックスしてた。醜悪すぎる。

たかたが幼稚園のガキが異性誘うわけないだろ。

そんなことが度々あった。

母は口癖のように「周りの同級生は遊んでる。でも私はアンタを育てる為にこんなババアになったのよ。私だって遊びたいわよ!」

 

父は仕事が忙しかったのと、パチスロで作った3桁借金を返すために一日中働いていたから多分こんなこと知らない。

 

母は私を殴り、膝の裏に箒の柄を挟んで土間に半日以上正座させたり、納豆のタレを零しただけで顔面ボコボコに殴られて炊飯器で顔面殴打した。その傷はまだ残ってる。

髪型は母していのクソダサカット、服装も母指定のクソダサ

苦痛でしか無かった

毎週の様に謎のおじさん達と会うのに同行し、私もなんだかいやらしいことをされていた。

母方の父(私から見たら祖父)も狂っていて「おっぱいまん〜!」とかわけの分からない事を言っては私を上裸にして髭を擦り付けてきた。泣き叫んで嫌がったのを覚えてる。

 

そうこうで私も小学校にあがった。

どうしてもピンクのランドセルが良かったのに両親は「人と違うとイジメられるから。そんなら買わない」なんて意味不明な事を言うので仕方なく赤色にした。可愛くない

担任はヒラツカ

年老いた女性だった

私は読書が好きで、読んだり、単語を覚えるためにノートに書き写していたら「東条さん、本当に本を読んでるの?笑」「形だけでしょ。はっずかしい笑」とHRで名指しで言われた。泣いた。

それからヒラツカのイジメや家庭では母からの虐待で耐えきれずヒラツカお気に入りの生徒の私物を破壊して問題になった。

悪循環悪循環悪循環

 

小学校3年生まではヒラツカが受け持っていた。

イジメしか記憶が無い

 

小学4年で本格的にイジメが始まった

上級生、同級生

もう居場所がなくて、初潮より早く手首切ってたなあ

 

母は妹の事を「あの子は離婚切り出したらダンナにレイプされて出来た要らない子」とかボロカス言ってたなあ

遺産相続問題にも巻き込まれて毎日「殺しに行く」とか醜い争いみてたし、ゴマすり人間に挟まれてウザかった。

 

 

小学6年生は本当にひどかった。

担任はアキヒロ

転校生がきた。

家の方面が同じだから道案内がてら一緒に帰るよう担任から言われた。

しかし、一軍の逆鱗に触れて気付いたらバイ菌だった。

アキヒロも積極的に虐めてきた

ある日、靴の中に画鋲が入ってた

定規で書いただろう線で「死ネ(ꐕ ←棒人間の頭に画鋲突き刺してあった)」と書かれた紙入りで

私物もなくなっていった

一軍にゲーセンに連れていかれて「あれ欲しいなあ。おこめちゃんクレーンゲームできる?」「あのガチャ欲しいなあ」とか散々言われた。

それは要するに「応えないなら、お前に居場所はない」と言われているのと同義である。

親の金を盗み、ゲーセンでクレーンゲームやガチャガチャして一軍に渡してた

溜まり場みたいな文房具屋があって、そこでも小学生にしては高価なドクターペンシル等、ねだられた。遠回しに「買えよ」と言われたようなもんだ。

アキヒロに相談しても「気のせい」「思い込み」「俺より体育の成績良くなってから物言えよ(アキヒロは体育会系で運動バリバリできる人)」ばかり

人当たりもよく、保護者からの支持も強く「アキヒロ先生のクラスで良かった〜」と一軍保護者と喜び組達は言っていた。

アキヒロは別学年の教師とデキ婚した。

私以外の全てのクラスメイトや一軍保護者や喜び組は披露宴に招待されて、引き出物も貰っていた(オリジナルノートや文房具セットだったかな)。それを持っている=人権アリって感じだった。一軍や喜び組は別途何か貰ってた

 

ある日の帰り道、大人数の前で一軍と喜び組から大声で「おこめ〜!あのさ〜!」と呼び止められたので振り返ったら「お前って、ほんっとブスだなあ笑笑笑笑笑」と笑われた

 

初めて自殺図った。失敗した。

鎮痛剤何箱か用意して全て砕いてヨーグルトと蜂蜜混ぜてゆっくり食べた。何百錠かしらん。

で、夜中手首切った

血が噴水みたいになって「やった!死ねるぞ!」ってなった。

無理だった

目が覚めたら息ができなくて、目がチカチカして、水の味すらわからなくて、立ち上がれなかった。這って転がってキッチンへ行き、気絶した

血が止まらなかったのか、ナプキン巻いててすごく笑えた。

あんな嫌な思いして死にたかったのに、なに止血してんだよ

 

そこから嫌なことあればODリスカが日常になった。

 

中学校は行かなかった。

行ってはいたけど、入学初日から上級生に階段から突き落とされるし、テストの成績が芳しくないと母親から監禁されてエンドレス説教だった

学習塾だけが救いだったけど、そこでも見知らぬ地域の子達からイジメられた。

でも塾講師の方々が全力で守ってくれた。

中学校に行かなかった 、は半分”嘘”

保健室登校スクールカウンセラーの下にいた

ある日、スクールカウンセラーが妙に私を引き止めるので「???」となった。

面倒臭いからクラスに赴いたら修学旅行の班分けで私をどこにするかのクラス会議真っ最中だった

黒板に赤丸されて弾かれた名札見て笑ったよ

担任のフジサキは青ざめて「これはね、その……!」とか騒いだ。気付いたら保健室でリストカットの治療されてた。

スクールカウンセラーからも「だます真似をして申し訳ない」と謝罪があったが、もう他人なんて信じられないよね、普通に。笑。

 

そんな私でも、とある服飾系の専門学校からスカウトがきた。学長直々に挨拶に来た模様。

両親は喜ぶかな?と思ったら

「恥ずかしい」「また金掛かる、ほんと金食い虫」「さっさとキャバクラで稼いで両親を楽させてよ」「そんなとこ、行かせないから。幾ら掛かると思ってるの?」「落ちこぼれの墓場」など散々言われた

父からは「あ〜石川遼くんの両親だったらなあ。うちはこんなお荷物で大違いだわ〜」と言われ、親戚からは「なんでウチの子は全寮制高校推薦なのに貴女は服飾系なの?恥ずかしい子ね」と罵詈雑言

面倒臭いし、もう疲れたから名前書くだけで入れる底辺校行ってやった。寝てても学年1位で笑った。

高校もイジメられたから辞めた。

遂に精神おかしくなって精神科に運ばれたのが理由

単位だけは残っていたので残り日数は単位消化して退学届け出した。

病名は解離性人格障害

その少し前にいまの親友に出会った。一番の良心で光。

この子がいるから私は生きている。生きる意味を教えてくれた。

 

そんなこんなでのらりくらり生きてきた。

母に毎週2桁送金したり、ほんと私って、なんだったんだろうね。

両親離婚したから知らんけど。

母子手当目当てに妹の親権争いひどかった。

妹が18になり、法律上意思表示が出来るようになったので父が私と妹の親権を取り完結した

 

 

 

話はぶっ飛ぶが、昨年、会社が倒産した。

お祖母様が5年くらい前に亡くなって、叔父(父の兄)が切り盛りしていたが、なんせ絵に書いた子ども部屋おじさん。

恋愛経験がない。

お祖母様が亡くなってから婚活パーティやお見合い等に血眼になって、身元不明のハルコという同年代の女性を連れてきた。

ハルコに出会ってから叔父は趣味の歴史モノの書籍や諸々捨ててしまい、ハルコに言われるがまま服を着て(それまで良くてユニクロだったのに普段着でラルフローレンを着るようになった)、ハルコに言われるがまま金を使った。

某高級ホテルで4桁人数規模の結婚式をし、何ヶ月か海外旅行に行っていた。

食事は毎回ホテルのディナー

そんな生活が続けば金なんて持つはずない。

叔父は「自営業をするから銀行から融資させる」と云う某闇金漫画に出てくる方法で父親に銀行から融資(借金)させて、そしてまさかの当座にまで手をつけていた。

 

倒産して、借金だけが残り、父は一気に痴呆になってしまった。妹は独り立ちしているし、私がなんとかするしかなかった。

家を売り、実印を持って色々駆け回り、死にたかった

誰も助けてくれない。

親友だけが、どんな時間でも連絡が取れてODで呂律が回ってなくても、発作起こして泣きわめいても「大丈夫、大丈夫だから」ってずっと傍に寄り添ってくれた、

 

鬱病になって自殺図って閉鎖病棟に入った。

やっと家族が気付いてくれて協力してくれた

でも、父はもうだめだ、

私が今まで好きだった【お父さん】は幻想でヒーローでもなんでもなかった。

アル中でマイスリー中毒のクソジジイだった

大嫌い

全て終わってくれ

私を解放してくれ

死にたい消えたい

 

 

4月

2回目の閉鎖病棟入院にて

病名鬱病